建学の理念
建学の心
豊かな心で患者さんに尽くし、
社会に貢献できる医療人に。
本校は、前身となる学校の創立者であり初代校長でもあった故山崎直文先生の教えを源としており、「人と人との和」「人と自然との調和」「東洋と西洋の融和」という三つの「和」を建学の心としています。そして、その創立者の遺志は、95年を経た今もなお、脈々と受け継がれています。疾病に苦しむ患者さんにとって、西洋医学と東洋医学の区分はなく、また、注射や薬の治療法だけでなく、その患者さんにとって何が最善の治療なのかを見極め、そして実行する事が治療家としての心であるとの教えを、本校の教育の柱としています。
理事長挨拶
知と技と心を備え、
最適な診断と治療を行える医療人を育成。
近年の細分化された医療では、地域の中で適切な診断・治療を行う医療従事者が今まで以上に重要になり、鍼灸師・柔道整復師はその一翼を担えると考えています。
本校では「人と人との和」「人と自然との調和」「東洋と西洋の融和」という3つの「和」を建学の心とし、東西両医学や各種技術、医療人としての心構えを指導、患者さんにとって最善の治療を見極め、実行できる力を養います。まさに世の中が求める「患者さんへの思いやりに満ちた、オーダーメイドの治療を行える医療人」を育成しています。それを可能にするのが、95年以上の歴史で培った確かな教育法と教員の高い指導力です。
さらにICTの積極的導入など、いかなる状況でも学び続けられるよう環境整備にも力を注いでいます。ぜひ一度、本校を訪れていただきその点を感じてください。
私たちは、志や希望を胸に本校の門をくぐった一人ひとりを、プロの医療人へと責任を持って導きます。
学校法人明治東洋医学院理事長 谷口 和彦
校長挨拶
知識・技能を継承し、時代と共に進化
本校の校歌には「刻苦研鑽(こっくけんさん)」という言葉があります。これは楽な道を選ばず、心身を苦しめて、励み努め、学問を深く究めることです。
鍼灸師、柔道整復師を極めるのは決して楽な道のりではありませんが、本校ではその始まりとなる3年間を仲間達と切磋琢磨し、医療の土台となる基礎知識や技術をしっかり学び国家試験合格を目指します。
そのために、時代に応じたサポート体制として「ICTを活用した教育」を推進しています。入学時に贈呈するiPadを利活用して、学校独自で作成し配信するオンデマンド教材により、授業で習得した知識や技術は、自宅や通学中に繰り返し学修できる環境を整えていることも本校の教育内容の特徴です。さらに、3次元アプリを活用して、人の身体を立体的に捉えながら学修することができます。これは、鍼灸師、柔道整復師が手技を用いて施術する仕事だからこそ、平面で見る教科書に加えて、立体的に見ることができる力を養うことが必要と考えています。
また、開校以来16,000人以上の卒業生を輩出し、現在も多数の卒業生が全国で活躍しています。学校同窓会主催の講演会、学術大会及び専門臨床研修会等により、卒業後も継続して専門知識や技術力を積み重ねることできるのも本校の魅力です。
これから医療の道を志す皆さんには、医療の一翼を担うことを自覚し、夢に向かって自己研鑽に努め、学生生活で多くのことを経験していただきたいと願っています。
校長 三澤 圭吾
教育ネットワーク
学校法人明治東洋医学院は、大学、大学院、専門学校を擁する東洋医学系ネットワークを形成しています。
そのなかで本校は、この学校ネットワーク形成の母体校として、常にその時々の社会と医療ニーズに応える優れた鍼灸師・柔道整復師の養成に携わっています。
また、明治国際医療大学附属病院などの関連施設においても最新の医療機器を備え、西洋医学のなかに東洋医学を補完・融合させる新しい医療の実現をめざしています。
沿革
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1925年(大正14年)
山﨑鍼灸学院を設立(大阪市西区)
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1927年(昭和2年)
明治鍼灸学院と改称
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1930年(昭和5年)
明治鍼灸学院を開講(大阪市天王寺区)
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1951年(昭和26年)
戦後の混乱の中で廃校となる
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1959年(昭和34年)
明治鍼灸専門学校(鍼灸科・柔整科)を再建(吹田市寿町)
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1961年(昭和36年)
明治鍼灸柔道整復専門学校と改称
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1976年(昭和51年)
大阪府知事により専修学校として認可
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1978年(昭和53年)
学校法人明治東洋医学院が認可
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1992年(平成4年)
校名を明治東洋医学院専門学校と改称し新校舎へ移転(吹田市西御旅町)
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1993年(平成5年)
教員養成学科を設置
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2005年(平成17年)
スポーツ施設(Meijiフットサル)を設置
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2015年(平成27年)
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2018年(平成30年)
専門学校内に明治国際医療大学吹田クリニックを設置
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2025年(令和7年)